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福岡地方裁判所 昭和51年(ワ)321号 判決

原告 堤田智

右訴訟代理人弁護士 大原圭次郎

同 古海輝雄

被告 福岡市

右代表者市長 進藤一馬

右訴訟代理人弁護士 内田松太

主文

一  被告は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和五一年四月八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

この判決は主文一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三二三万四三五〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和三六年春頃福岡市南区老司字卯内尺六六〇番の二の宅地約五〇坪(以下「本件土地」という。)を購入し、本件土地上に居宅一棟(以下「本件家屋」という。)を建築し、昭和三七年五月一日家族と共に右家屋に入居した。

2  被告は本件家屋付近一帯の山林を造成して団地を建設すべく、昭和三八年一月二九日昭和三七年度分譲住宅老司団地(以下「分譲住宅老司団地」という。)の造成工事に着工し、同年二月一五日には同年度公営住宅老司団地(以下「公営住宅老司団地」という。)の造成工事に着工し、それぞれ同年四月八日と同年三月三一日に右造成工事を定成させた(以下右各造成工事を単に「本件造成工事」という。)。

3  被害の発生

(1) 本件造成工事の開始に伴い、原告の居宅に通ずる道路はぬかるみになって通行不能となり、また、大型トラック等の出入りにより子供らの日常生活も危険になったので、原告は昭和三八年二月末本件家屋から福岡市内の借家に転居した。

(2) 昭和三八年梅雨頃、本件家屋付近に山積されたまま放置されていた本件造成工事の残土及び各造成地の法敷が豪雨で崩れ、その土砂が本件土地(本件家屋の庭部分)に流入して一〇センチメートル以上も堆積した。右土砂の流入は昭和三八年度だけでも十数回発生し、その後現在に至るまで継続して発生している。

(3) 本件土地は、本件造成工事を始める以前は、その周辺の本件土地の東側及び南側に接する部分の道路(以下「本件道路」という。)との間に全く段差がなかったのであるが、被告が前記造成工事により生じた残土を無計画に、本件土地の周囲に捨て、更に、右道路が昭和四八年に舗装されるまでの間、雨が降ってぬかるみになれば無計画にその上に砂利や土砂を捨てていったため、本件道路が徐々に高くなり、現在本件土地と本件道路の間で、最も大きい所で七六、七センチメートル、最も小さい所でも四七センチメートルの段差ができてしまっている。

(4) 被告は本件家屋の横に前記老司団地の排水が集中する排水槽を設置したが、その排水設備であるマンホール下の排水槽(甲第三号証の九)の容量が十分でなく、且つ、本件土地の北側に設置されている排水溝(同号証の一〇)が小さいという不備があり、そのため、排水があふれるのと、前記本件道路との段差のため、毎年数回程度大雨の降る度に、本件家屋の床下にまで雨水、排水等が流入、浸水し、右家屋の柱は腐っていること、また、本件土地も水浸しとなるので、前記土砂の流入と相まって、庭の芝生や植木が大半枯死するという被害が発生している。

4  責任原因

(1) (国家賠償法二条一項)

前項記載の各被害はいずれも被告の営造物たる分譲ないし公営の各老司団地の造成地、排水設備及び市道の各設置または管理に瑕疵があったために生じたものであるから、被告は国家賠償法二条一項の責任がある。

(2) (民法七〇九条)

仮にそうでないとしても、被告は本件家屋付近の山林を造成するについて、造成工事により本件土地、家屋に損害を与えないよう十分に注意して造成計画を立案し、これに基いて造成工事を施工する義務があるのにこれを怠り、前記のとおり、造成地の残土及び法敷を漫然と放置して土砂を原告方に流入させ、本件道路を無計画に増高し、本件家屋を家上げしなければ居住に耐え得ないような段差を発生させ、右段差及び排水設備による浸水被害を発生させたのであるから、被告は民法七〇九条の責任がある。

(3) (債務不履行)

仮にそうでないとしても、被告は昭和四〇年頃前記道路の段差を解消するため、被告において家上げ工事をする旨約束したにも拘らず、履行をしていないので、被告にはその履行にかわる家上げ工事費用相当額の損害賠償責任がある。

5  損害(総額金三二三万四三五〇円)

(1) 家上げ工事費用 金一九三万四三五〇円

前記のとおりの被害の発生を防止するためには家上げ工事を施工せざるを得ないのであるが、そのためには工事費用として右金員が必要である。

(2) 慰謝料 金一〇〇万円

原告において初めて建てた家が被告の杜撰な造成工事によって居住できなくなったことによる原告の精神的苦痛ははかり知れず、これを敢えて金銭に評価するとすれば少くとも右金員が相当である。

(3) 弁護士費用 金三〇万円

被告は任意に損害賠償義務の履行をしないので、原告は弁護士に本件訴訟の追行を委任したのであるが、本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用としては右金員が相当である。

(4) 右金三二三万四三五〇円に対する本訴状送達の日の翌日から支払いずみまで年五分の割合による金員。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1項は不知。

2  同2項の事実は認める。

3  同3項のうち(1)の事実は不知、その余の事実は否認する。

4  同4項のうち、事実については否認し、法的主張は争う。

5  同5項の主張は争う。

(残土の処理及び土砂の流出について)

原告方に近接する造成工事のうち、公営住宅老司団地は土質も軟弱であり、同年五月上旬からの長雨で、造成後間もない造成地が幾分流失し、本件道路の南側部分を超えて、原告方敷地にも厚さ約五ないし一〇センチメートルに達する土砂が流入したことがあるが、被告は直ちに右土砂を排出し、原告の了承を得ている。

また、昭和三八年五月一四日から同年六月二日までの間、梅雨時の長雨による土砂流出を防止するため、原告方の上方等に土嚢を積み重ね、下方の水路の浚渫工事を行い、万全の措置を講じた。そのため、昭和三八年六月二九日から七月三日までの記録的な集中豪雨により、本件造成地においても、宅地、法面及び残土(本件造成工事により生じた残土は当該造成地の西側の土地に盛土していたもの)が流出し、付近の農地、用水路に被害を生じさせた際にも、原告方付近は右土砂流出防止工事がなされていたため、本件土地に多量の土砂が流入したことはない。

当時、建築局住宅建設課において、右土砂の流出による被害補償をしたときにも、原告からは被害につき何らの請求もなされていない。

(水路付替及びマンホール等排水施設の設置)

本件造成工事前の原告方付近の状況は、原告方裏手には西南方の笹池に端を発する素堀りの農業用水路(以下「農業用水路」という)が流れ、右水路を隔てた西側及び北側は水路より一段と低い湿田であった。

このような状況にあるところ、被告は本件造成工事の進捗にあわせ次のような工事を行ったので原告主張の如き継続水害発生の余地はない。即ち、

(一) 排水管の設置

本件造成工事に際して排水管は二ヶ所設け、原告方東側道路下に設けているのはその内の一箇所であるが、この排水管(以下「排水管」という。)は、内径四五センチメートルのヒューム管であり、下水を排除するには容量として十分なものである。

(二) 水路の付替

(1) 昭和三八年度分譲住宅老司団地の造成工事に際して、原告方から約三〇メートル地点より上流の水路を廃止し右農業用水路を付替えた。

(2) 更に、右の工事後も、該水路に関しては、次の如く改良工事を施した。

(イ) 昭和四二年七月一六日より同年九月二三日までの間

原告方より下流の水路をU型コンクリート(幅一、一メートル、深さ一メートル、以下「U型排水路」という。)とし、道路にヒューム管(内径六〇センチメートル)を埋設した。

(ロ) 昭和四九年九月一九日より同年一一月一七日までの間

原告方より下方の道路に暗渠されていたヒューム管をボックスカルバート(横九〇センチメートル、縦八〇センチメートル)に改めた。

(ハ) 昭和五〇年六月七日より同年七月一六日までの間

原告方裏手の水路を、U型コンクリート(幅三〇センチメートル、深さ三〇センチメートル以下「側溝」という。)とした。

(道路の段差)

被告の本件造成工事は、昭和三八年四月八日最終的に完了したのであるが、本件道路工事はその造成工事の一部として、その間に施行されたものである。

そして、当時の本件道路は、右造成工事前に比し、その高さにおいてさまで変わらず、原告主張の如き極端な段差を生じたとは考えられない。

その後補修のため砂利を置いたことがあるけれども、砂利はほどなく埋れるのが通例であり、甚しく高さを増したものとは考えられない。本件舗装に当っては、舗装用覆土に相当する表土を掘削して施行されたため、舗装完成後の道路面は、施工前に比して殆んど変らず、殊更問題視する程のものではない。

被告としては原告主張の如き不法はしておらず、該道路工事により原告方に殊更浸水その他の損害を与えた事実もなく、又その可能性もない。

三  抗弁

1  仮に、原告主張の事実が認められるとしても、本訴の提起は右不法行為時である昭和三八年から一二年余も経過しているので、損害賠償請求権は時効により消滅している。

2  仮に、被告が本件道路工事により原告の本件土地との間に幾分かの段差を生じさせたとしても、次の理由により原告の請求は失当である。即ち、

(1) 道路法七〇条一項による損失保障(本件道路に面する本件土地の盛土をする必要がある場合)は、道路に関する工事の完了の日から一年を経過した後においては請求することができない(同条二項)ところ、本件道路工事の完了(本件道路の高さの一応の確定)は遅くとも本件造成工事が全て完了した昭和三八年四月八日とみるべきであるが、原告は右工事完了の日から長きにわたり何らの請求もせず、右の法定期間を徒過した。

(2) 仮に、右道路工事の完了した日が、道路舗装工事の完了した昭和四九年二月四日であるとしても、原告は昭和五〇年一一月一三日の調停申立によりその請求をするまで何らの請求をせず、前記法定期間を徒過した。

(3) なお、同法第七十条第四項によれば、前記の如き損害保障につき、道路管理者又は損害を受けた者は政令で定めるところにより収用委員会に、土地収用法第九十四条の規定による裁決を申請することができることになっている。よって、原告は本訴提起前に先ず右の規定による手続をとるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1項につき、請求原因3項で主張しているとおり、原告の本件各被害は、昭和三八年から現在まで(道路の段差のみ昭和四八年末まで)継続して発生しており、かかる継続的不法行為の場合時効は進行しない。

なお、不法行為に基づく請求権が時効消滅しているとしても、原告の予備的請求である債務不履行に基づく損害賠償請求権は時効消滅していない。

2  抗弁2項につき、被告主張の道路法七〇条の規定は適法な道路工事に基づく損失補償に関する規定であるところ、本件は、被告が本件道路を高くする必要性は全くないにも拘らず、無計画に、漫然と工事の残土を積み上げた結果、本件土地との間に高低差を生じさせた不法行為によるものであり、かかる損害賠償の場合には同条の適用はない。

五  再抗弁

1  時効の中断

原告は昭和三九年はじめより、被告と本件補償問題について交渉をなした結果、被告は昭和四〇年一〇月頃、被告の建築課の係官を通じ現地で原告に対し、「埋立て工事と家上げ工事は福岡市において責任を持ってするが現在本件家屋には借家人が居住しているので、工事ができないから、借家人が他に転居した時点で工事を施行する」旨約束していたものであるが、このように相手方が停止条件付ないし不確定期限付の原状回復を承認していた場合、条件未成就の間は時効は進行せず、条件成就の時より時効は進行するものと解すべきである。これを本件についてみれば借家人の糸賀繁人及び黒川が転居したのは、昭和四九年三月二六日頃であり、その時から時効はその進行を開始するが、原告はその時効完成前に本件訴訟を提起したものであって、本件時効は右訴訟提起により中断されている。

2  信義則違反ないし権利濫用

被告は前述のとおり、停止条件付で原状回復を約束していたのに、右条件が成就したときには当時の担当係官が居らず、分らないからという理由で原告の工事着工の申入れを拒絶し、原告がやむを得ず提起した本訴において時効を援用することは信義則上許されず、権利の濫用である。

六  再抗弁に対する認否

全て否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実、《証拠省略》によれば、請求原因1項(但し、本件土地は贈与されたもの)、2項の事実及び本件道路、排水管、排水槽、農業用水路、側溝及びU型排水路がいずれも被告によって設置、管理されていることが認められる。

二  原告方の被害の発生

《証拠省略》によれば次の事実が認められ、右認定事実に反するかにみえる《証拠省略》は右認定の事実に照して措借できない。即ち、

1  原告は本件造成工事の進捗につれてダンプカー等の通行により本件道路がぬかるむ等普通乗用自動車の使用が困難になり、日常生活に不便を来した等の理由で本件家屋から転居したこと、

2  本件造成工事により排出した残土が本件土地の周囲に山積みされていたところ、右残土が昭和三八年六月頃の豪雨により流出し、付近の崩壊した造成地等と共に本件土地に流れ込み、平均厚さ一〇センチメートル位の土砂が推積したこと、かかる土砂の流入はこれ以外にも数回発生していることは窺われるものの、その後、老司団地の建設が進み、昭和三八年暮頃から同三九年の初頃本件土地の南側から東側にかけてブロック塀が構築され、本件道路も道路としての形を整えてきてからは原告主張のような長期間にわたって老司団地又は本件道路からの大量の土砂の流入があったとは認められない。

3  昭和三七年五月一日原告が本件家屋に入居した当時の四囲の状況は、付近に人家はなく、本件道路が東側から南側に沿って走り(東側部分では全く高低差がなく、南側に進むにつれてやや段差ができていたが、本件土地からの自動車の出入りに支障のない程度であった。)、西側は本件土地より高くはなく、北側は、狭い素堀りの農業用水路が西から東に向って流れ、その北側は低い湿田であった。

本件道路は本件造成工事の進捗と共に高くなってゆき、訴外糸賀久子が本件家屋に入居した当時(昭和三八年四月)には、本件土地との段差が、本件家屋の玄関前当りでは全くなかったものの、南に進むにつれてわずかずつ勾配を増し、南側では約四〇センチ位の段差になっていた。

その後、本件道路は、前記豪雨により流出した残土の推積、ぬかるんだ部分に砂利を投入する等して次第に増高していった。

昭和四八年一一月二七日から同四九年二月四日までの間に被告は本件道路の舗装工事を行ったが、右の工事は道路面を平均二〇センチメートル削り、一五センチメートルの厚みの舗装を行ったものである。

その結果、本件道路は、本件土地の南側から東側の本件家屋の玄関前当りまではブロック塀(本件土地からの高さは均等でなく、五八、四センチメートルから八三センチメートルの間。本件道路の擁壁の役も果している。)を狭んで外側に接し、前記東側玄関前で高さ約五〇センチメートル、本件土地の南東角で約五三、五センチメートル、南側で約七六、七センチメートルの段差を有し、玄関前から北側は約五〇ないし六〇センチメートルの段差で直接接している。

4  昭和三八年の梅雨頃から訴外糸賀久子が本件家屋から転出した昭和四七年六月頃迄の間大雨が降る度に本件土地及び家屋に浸水があったこと、右の浸水は本件土地の南西角付近(前記ブロック塀ができる以前)からの他、右ブロック塀の設けられていない東側玄関前の道路から落込む水及び農業用水路からあふれた水が一諸になって浸水してくるもので、本件土地は湖のようになり、本件家屋の床下まで浸水したこと。

三  本件道路及び排水設備の設置又は管理の瑕疵

《証拠省略》によれば次の事実が認められ、これに反するかにみえる《証拠省略》は右認定事実に照し採用できない。即ち、

1(1)  本件土地の北側には前記素堀りの農業用水路が西から東に向って流れていたが、右水路は雑草も繁り、水はけも悪かった。そこで、被告は右水路のうち原告方北東角部分から東側(下流)部分を昭和四二年七月一六日から改修し、一部U型排水路(三面のコンクリート製、上端巾一一〇センチメートル、底巾七〇センチメートル、高さ一メートル)を設け、右水路の途中からバイパス的役割を果す内径六〇センチメートルのヒューム管を設け、排水の一部を別の水路に分流させ、右工事は同年九月二六日完工した。

(2)  更に、被告は昭和四九年九月一九日から前記U型排水路に続く下流部分の水路を一部ボックスカルバート(三面張りコンクリート水路、巾九〇センチメートル、高さ八〇センチメートル)に付け替え、右工事は同年一一月一七日完工した。

(3)  また、被告は昭和五〇年六月七日から農業用水路のうち、原告方北側部分を側溝(巾、深さ共三〇センチメートル)に改め、右工事は同年七月一六日に完工した。

(4)  右側溝は前記U型排水路と原告方北東角で接しているものであるが、側溝の方は覆いもなく、U型排水路より相当低い位置で接続しているため、仮にU型排水路を表面まで満水にするとすれば、右排水路の中上方の水は相当側溝から上流に逆流してあふれることになる。

(5)  公営住宅老司団地方面からの下水及び排水は本件排水管を通って北に流下し、右側溝とU型排水路が接するすぐ東側部分でU型排水路に合流しているが、右排水管からの排水の量が多く(右排水路で処理する排水は右の排水管の排水だけではない)、或いは流れが急であるにも拘らず、右排水路の流下が円滑にいかない場合は、右の排水は勢い側溝を逆流して溢水し易い構造である。

2  先に認定したとおり、本件家屋が建築された当時は、本件土地及び家屋は周囲の地形上浸水の虞れは全く無かったのであるが、その後、本件土地の西側は昭和三八年頃埋立てられて高くなり、東側及び南側本件道路も前記のとおりの段差をもって高くなっている結果、本件土地は三方を高い土地によって囲まれた窪地の如き様相を呈するに至ったうえ、農業用水路の北側の土地も宅地化され、側溝に面して高い建物が建っている。

したがって、側溝からあふれた水は本件土地に流入し易い状況になっている。

3  更に、本件道路のうち、原告方土地に接している部分には何らの側溝も設けられていないため、道路上を高方から流下してきた雨水のうち一部は、前記ブロック塀の途切れた原告方玄関前部分から同玄関に向けて流れ落ることになる。

4  ところで、下水や雨水を排除するために設けられた排水管、排水溝、排水路等の排水設備は、排水があふれ、付近の土地へ浸水することがないような容量、構造を備えるべきであり、又、道路についても、交通の安全性を確保するに止まらず、道路上に溜り、流れる雨水を道路外の土地に浸入させることのないように設置されるべきであり、排水設備や道路が右の通常具有すべき機能を欠く場合には、排水設備及び道路の設置又は管理に瑕疵があると解すべきところ、これを本件についてみるに、農業用水路のU型排水路への付替、バイパスの新設等被告の努力にも拘わらず、昭和三八年頃から昭和四七年六月頃までは本件土地家屋への浸水が続き、その回数も稀ではなかったことに徴すれば、右浸水は先に認定したように、U型排水路に容量不足があったか又はその流れが悪かったこと、U型排水路から農業用水路に逆流し易い接続方法になっていること、本件土地は右農業用水路とほぼ同じ高さであるにも拘らず、右の逆流し、あふれた排水の浸入を防ぐ手段が講じられていないこと、道路上の雨水に対しても、側溝を設ける等の排水措置がなされていないため、前記玄関前の道路から雨水が浸入し易いこと等に起因して発生したものと考えられ、これはとりも直さず右排水設備及び道路の設置又は管理に瑕疵があったものというべきである。

《証拠省略》によれば、本件家屋は前記糸賀久子が転居した後、訴外黒川が一年余り、訴外千住が約四ヶ月間居住した後空家になっているが、右糸賀が転居した後(昭和四八年頃)にも本件土地、空屋への浸水があり、被告の下水道の管理課に苦情を伝えていること、その後も老司団地から急勾配の本件排水管を流下してきた水が原告方に流れ込むこと、道路上の雨水が原告方玄関前から流れ込んでいることを述べており、その浸水の回数、程度等を具体的に直接確定しうるに足る証拠はないが、本件土地の周囲の状況に大きな変化がない以上右の浸水の状況についても変化はないと推定されるところ、前記のとおり、右糸賀の転居後、被告は昭和四九年一一月にボックスカルバートを設けてU型排水路の下流の排水を良くしたということであるから、その分だけU型排水路の流通も良くなり、浸水の度合いも減じたのではないかと思われるものの、道路上の雨水については従前と変らないはずであるし、これにより浸水が全くなくなったとは考えられず、又、農業用水路を同規模の側溝に変えたことも右の推定を左右しない。

以上のとおりであるから本件道路及び排水設備の設置又は管理の瑕疵に基づく浸水被害につき(その余の被害については暫く措く)被告は原告に対し、国家賠償法二条一項に基づき損害を賠償すべき責に任ずるというべきである。

四  債務不履行責任

原告は、被告が昭和四〇年頃本件土地と本件道路との段差を解消するため、本件土地の埋立工事及び家上げ工事を、借家人が他に転居した時点で責任をもってなす旨約したと主張し、《証拠省略》によれば、原告は昭和三八年の豪雨の際、本件土地に土砂が流入したので、その補償問題につき被告と交渉した結果、被告の局長が「調査して善処する。」旨約し、また、昭和四〇年頃被告の係長が、「全額を市でもつことはできないかも分らないが、とにかく地上げしないといかんですな。しかし人が住んでいるのならその人を出さなければだめではないですか」と言った旨述べている。右の原告の供述によってもその内容ははなはだ莫然としたもので被告が埋立工事をなす旨の約定をなしたと認めることは困難であるが、これを措くとしても、右の約定をなした局長ないし係長も不明であるうえ、何らの文書も作成されておらず、他に右の約定を認めうる適格な証拠はなく、《証拠省略》に照して、右主張は採用できない。

五  進んで抗弁につき判断する。

1  道路法七〇条の抗弁

前叙のとおり、本件道路と本件土地との間にはもともとさしたる段差がなかったものが、その原因は必ずしも確かではないが、次第に段差がつき、昭和四九年二月四日本件道路の舗装工事を終った段階では際立った段差になり、右段差のため、本件土地は浸水を受け易く、利用上も外観上も不都合を来していることは前叙のとおりであるが、《証拠省略》によれば、右道路は、土砂の堆積、ぬかるみ防止のための砂利の上乗せ等による増高があれば、それもふまえたうえで団地全体の構造(本件道路から延長する部分、造成地との高低、排水設備のための勾配等)との関連において、それなりの整合性をもって設計、構築せられたものであり、遵守すべき法令等の基準に基づいて設けられたもので適法なものであると認められ、原告の、無目的的に、漫然と、不必要な高さに増高し、段差を作った不法行為によるものであるとの主張は採用できない。

右のとおりであるから、右道路の設置により本件土地が相対的に低下したことにより損害が生じているとしても、これは適法行為による損失補償を問題とすべき場合であって、原告は道路法七〇条による費用の請求をするのはともかく、不法行為であることを前提とする損害賠償請求は許されないと考える。

2  消滅時効

原告は被告の営造物の設置、管理の瑕疵により損害を受けた旨主張しているのであるから、その損害賠償請求権は民法七二四条により原告が損害及び加害者を知りたる時より三年を経過する時は時効により消滅すべきところ、原告が被った損害のうち、転居させられたこと及び土砂が本件土地に流入したこと(本訴提起の三年より前に終っていることは前認定のとおり)による損害はいずれも原告が本訴を提起した昭和五一年三月三〇日の三年より前に発生したものであり、原告がその加害者が被告であることを知っていたことは弁論の全趣旨から明らかであるから、右の各損害が被告の営造物の設置又は管理の瑕疵に基づき国家賠償法二条一項又は民法七〇九条に基づく損害であるとしても、右損害賠償請求権はいずれも本訴提起時には時効により消滅していたことになる。

次に、浸水被害による損害についてであるが、本訴提起の三年より前に発生したものについては右と同様時効により消滅していることになる。

そこで、被告に対する請求は、浸水による損害賠償請求権のうち本訴提起の前三年分についてだけ認めることができる。

原告は仮定的に債務不履行に基づく請求をなしているが。債務不履行の事実が認められないことは前認定のとおりであるから右消滅時効についての判断を左右するものではない。

六  進んで再抗弁につき判断する。

原告は、被告か、本件家屋の借家人が転居した時点で本件土地の埋立工事等をする旨約していたことを前提に時効の中断又は信義則違反ないし権利濫用の主張をなしているが、右の前提となる事実が認められないことは前認定のとおりであるから、右の再抗弁も採用することができない。

七  そこで、本件土地、家屋への浸水による損害につき判断する。

原告は今後被害の発生を防止するためには家上げ工事を施工する必要があるとしてその工事費用等を請求しているが、前認定のとおり、被告の排水路の改善、新設等により、原告方への浸水は、あっても相当程度緩和されていると思われること、家上げまでしないでも、浸水個所に対する簡易な擁壁又は排水施設を設けて、浸水を防ぐことができると思われること等の理由により、家上げ工事費用額を損害額とみることはできないが、他に右三年分の浸水被害による損害賠償額を直接認定しうべき立証もない。しかしながら、右浸水により本件土地、家屋の利用が制限されていることに鑑みれば、原告は精神的損害を被っているというべく、これに対する慰謝料として算定することは可能且つ妥当であると思われ、右損害額は金四〇万円をもって相当とする。

更に、右請求の認容額、事案の難易等諸般の事情を総合すれば、原告は被告に対し、弁護士費用の支払を求めることができると言うべく、右の額は金一〇万円が相当である。

八  よって、原告の本訴請求は金五〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五一年四月八日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその範囲で認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 兒嶋雅昭)

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